不発弾の脅威を取り除き、安全な未来を築く。
プロの手で確実な不発弾処理を行います。
沖縄県(全域)では、住宅やアパートの新築・建替を行う際、補助金により不発弾調査(磁気探査)は完全無償です!申請手続き等は弊社が全て代行しますので、面倒な手続きも一切ありません。少しでも「不安だな」と感じたらお気軽にご相談ください。
不発弾処理について
沖縄には未だ1,900トンもの不発弾が
地中や海中に埋もれていると言われております。
第二次大戦時に日本近海に敷設された機雷はおよそ11000発で、このうち半分近い約5000発が残存していると想定されています。
また、米軍が日本に投下した爆弾の総重量は15〜17万トンと言われています。そのうち5%が不発弾であるとすると、7500〜8500トン。そのうち1,900トンが未だ沖縄のどこかに埋まっているのです。爆弾が全て1トン爆弾であったとしても、ものすごい数の不発弾が残存することになります。
時代背景(沖縄戦について)
第二次世界大戦で日本は、連合国軍(アメリカなど)と戦争をしていた。太平洋の島々を奪った米国は、次に沖縄を占領して、日本本土を攻めるための前進基地として使おうと考えます。これに対し日本は、日本本土を守るため、沖縄に米軍をひきとめて時間を稼ぐための「持久戦」作戦を決行します。
こうして起きたのが「沖縄戦」。どんな戦いだったのか。何が起きたのか。解説します。
「沖縄戦」とはどういうもの?
沖縄で最初の大きな被害は、1944年10月10日の「10・10空襲」午前6時40分の第一次攻撃から、午後3時45分の第五次攻撃まで9時間にわたる波状的空襲が行われました。
のべ1,396機の米軍艦載機が縦横無尽に爆弾や焼夷弾(しょういだん)を投下しました。死者の数は軍人と民間人あわせて668人とされています。1945年になって、航空機で軍艦に体当たりする日本軍の「特攻攻撃」も始まった。特攻による死者は数カ月間に約2500人ともいわれています。
米軍は45年3月末、空襲や海上の軍艦からの砲撃につづき、慶良間諸島に上陸。4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸。この頃から約3カ月にわたる戦いを一般に、「沖縄戦」と呼びます。
沖縄本島の上陸地から本島北部にかけては約2週間で米軍が占領した。日本軍がおもに待ち構えていた本島中部では、約40日間にわたって激しい戦いがあった。
現在、新都心のDFS向かい水道局の給水タンクがある高台では、「シュガーローフの戦い」と呼ばれる激戦が繰り広げられました。小さな丘をめぐる戦闘は、5月12日からおよそ1週間続きました。日本軍の犠牲者はわかりませんが、アメリカ軍だけで2600人あまりが戦死しました。
しかし、シュガーローフ一帯はアメリカに接収され、追い詰められた日本軍は首里城地下にあった司令部を捨て、本島南部へ退きます。
大きな戦いはその後約1カ月間続き、南部での決戦へ、戦いを長引かせた決断が、民間人の犠牲をさらに増やす結果となってしまいました。
住民の被害は?
沖縄戦は、軍隊と軍隊、軍人と軍人が戦う、というだけではなかった。沖縄戦では、10代前半の子どもを含む住民が、足りない軍人の代わりや手伝いをさせられたりした。軍人も、武器をもたない住民も、混在したまま地上戦が続いた。
日本軍が南部に追い詰められてからは特に、米軍の無差別な攻撃に、軍人も、住民も次々と命を奪われていった。こうしたことから、沖縄戦では、軍人よりも住民の命が多く失われたといわれる。かつて日本が統治していたサイパンやテニアン、サハリン、満州などでも地上戦はあったが、いまの日本で、このような体験をしたのは沖縄のみ。
沖縄戦の教訓として「軍隊は住民を守らなかった」と語り継がれています。日本兵に命を助けられた人はもちろんいます。しかし、日本兵に命を脅かされたり、スパイとみなされ、実際に命を奪われたりした人たちが沢山います。
地上戦の特徴とは?
太平洋戦争の間、日本本土では飛行機から爆弾が落とされ、空襲で大変な思いをした人がたくさんいます。一方、沖縄には米軍が上陸し、住民が暮らしていた場所で、米軍と日本軍が戦った。
空からの攻撃にくわえ、陸からは銃や大砲、火炎放射器、手榴弾で襲われ、海からは艦砲射撃で狙われた。爆弾が大嵐のように降り注いだことから「鉄の暴風」とも言われています。米軍は「ありったけの地獄をあつめた戦場」と呼んだ。
地下に日本軍の司令部があった首里城も跡形もなくなり。地形も変わってしまったと言われています。特に多くの住民が犠牲になった沖縄本島南部の喜屋武半島では、1カ月間に約680万発、住民1人あたり50発ほどが撃ち込まれたともいわれています。
どれくらいの人が戦った?
米軍は後方支援も含めておよそ55万人、日本軍はおよそ10万人。武器の量や性能をあわせた戦力の差は米国が日本の10倍以上だった。そのうえ日本軍の10万人のうち、2万数千人は、沖縄にいる一定の年齢の男子を急遽兵隊として集めてつくられた「防衛隊」や「義勇隊」、いまの中学生や高校生くらいの生徒たちでつくる「学徒隊」でした。
防衛隊の年齢は17歳から45歳というが、実際にはもっと幼い子どもや高齢の人もいたとのこと。軍隊の訓練も受けず、武器もないまま戦いに参加させられることもあったそうで、学徒隊では「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊」がよく知られています。
何人が亡くなった?
米国側は1万2520人。日本側はその15倍、18万8136人が亡くなったとみられています。このうち沖縄県出身以外の日本兵は6万5908人。沖縄県出身の軍人・軍属(正規の軍人、防衛隊や学徒隊など)は2万8228人。一般の住民は9万4千人。沖縄県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなったといわれています。
ただ、いずれも推計した数字。戸籍も焼けてしまって、亡くなった人の数ははっきりわかっていません。家族全員が死んでしまった家も沢山あります。名前もわからないまま、戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」には、○○さんの「長男」とだけ彫られている人さえいます。当時子どもだった人のなかには、両親が亡くなって自分の生年月日も、名前さえわからない人もいます。
米軍の砲弾や銃弾を受けただけでなく、自ら命を絶つ「自決」で亡くなった人や、餓死や栄養失調、マラリアで死亡した人もたくさんいます。沖縄から疎開(避難)したのに亡くなった人もいます。沖縄戦前年の1944年8月、九州へ向かっていた船「対馬丸」が米軍に攻撃されて、多くの児童が海で溺れて亡くなっています。
沖縄戦はどうやって終わった?
沖縄の日本軍のトップだった牛島司令官が自決したのは6月23日でこの日をもって、日本軍という組織での戦いは終わった。このトップは自決の前に「最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」と命令を出したと言われています。つまり、降伏するのではなく、死ぬまで戦いつづけろ、と。
6月23日は、沖縄で「慰霊の日」として休日になっていますが、実際はトップの自決も知らずに、怯えながら逃げたり、隠れ続けていた人もたくさんいて、6月23日以降に亡くなった人も多いのです。久米島では8月にかけて、日本軍が住民を殺しています。米軍が沖縄戦を終えた、と宣言したのは7月2日。沖縄など南西諸島の日本軍が全面降伏に調印したのは9月7日。
その後の沖縄は?
米軍は日本全体を占領し、全国各地に基地をつくった。1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立したが、沖縄は切り離され、72年の本土復帰まで米軍統治下におかれた。その間、日本各地の米軍基地はどんどん減らされたが、沖縄では新たにつくられたり、広げられたりした。その結果、日本にある米軍専用の基地の7割が沖縄に集中し、いまに至っています。
一方、いまも地中には、沖縄戦で亡くなった何千もの人の骨が埋まったまま。撃ち込まれた爆弾で、たまたま爆発しなかった不発弾も、約2千トンが地中に残っていて、戦後何十年もたってから爆発して亡くなった人もいます。
不発弾が爆発する。遺族のもとにかえれない遺骨が新たに見つかる。米軍基地も大きくは減らず、さまざまな被害が続く。「まだ戦は終わっていない」という人が少なくない理由はこうしたことにあるのです。
不発弾について
不発弾とは、爆撃機や戦闘機から投下された爆弾及び戦艦や戦車から発射された砲弾が、何等かの原因で爆発せずに地中に埋まっているものを指します。また、海中・海底に敷設された機雷が爆発せずに残存しているものも不発弾に含まれます。
不発になる原因
砲弾・爆弾が不発になる原因として、信管の不良、火薬の劣化などさまざまな要因がありますが、ほとんどは、信管の不良が原因だと言われています。
信管には取り扱い時に爆発しないよう、安全ピンのようなもの(シャンパンのコルクを止める針金の役割をするもの)があり、発射・投下前に外されます。
しかし、それだけでは飛行機の振動などで容易に爆発してしまうため、さらに信管には安全機構が備わっています。その安全機構は発射・投下された後の運動(回転等の遠心力など)により安全機構が外れ、信管が作動する仕組みになっています。この安全装置が不良品であったり、必要な運動ができなかった場合、不発となってしまうのです。
また、空中での爆発を目的とした「延期信管」も存在します。投下後、一定時間後にタイマーが作動することで爆発する仕組みになっており、地上での爆発より、広範囲に爆風・破片を拡散させることができます。この延期信管の動作不良が原因の不発弾も過去に見つかっております。
戦後不発弾による事故
米軍は日本全体を占領し、全国各地に基地をつくった。1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立したが、沖縄は切り離され、72年の本土復帰まで米軍統治下におかれた。その間、日本各地の米軍基地はどんどん減らされたが、沖縄では新たにつくられたり、広げられたりした。その結果、日本にある米軍専用の基地の7割が沖縄に集中し、いまに至っています。
一方、いまも地中には、沖縄戦で亡くなった何千もの人の骨が埋まったまま。撃ち込まれた爆弾で、たまたま爆発しなかった不発弾も、約2千トンが地中に残っていて、戦後何十年もたってから爆発して亡くなった人もいます。
1974年3月
那覇市小禄 私立幼稚園横の下水道工事現場で不発弾爆発。4人死亡、34人重軽傷。家屋損壊80戸、車両被害41台。
1975年5月
知念村(現南城市)知念で護岸の上で白煙が噴出し、突然爆発。小学生2人が顔面に火傷の怪我を負う。
1975年9月
伊良部町(現宮古島市)佐良浜で不発弾切断中に爆発。死者1人。
1976年7月
浦添市内間で不発弾に小中学生が石を投げつけ爆発し、4人が重軽傷。
1978年7月
消防隊員2人が負傷、うち1人は腹部貫通などの重症
1984年11月
嘉手納町水釜 小学生が右足負傷、水タンクに破損被害
1987年1月
那覇市長田で旧日本軍砲弾の解体作業中に爆発。1人死亡。100m離れたトラックのフロントガラス破損
1989年4月
伊江村東江上で草刈り機が不発弾に触れ爆発。1人死亡。
1991年12月
糸満市大里 男性一人が全治1ヶ月の重症
1995年11月
嘉手納町水釜 男性一人が右脇腹、中指、ももに全治2ヶ月の重症
2001年6月
西原町兼久 破片と見られるものがブルトーザーの運転手の頭部に当たり、負傷
2009年1月
糸満市小波蔵 重機運転の男性が顔面に重症、付近老人ホーム入所者の男性が足に負傷、老人ホームのガラス100枚余が破損
2022年12月
嘉手納町で工事中に不発弾(黄リン弾)が破裂し、作業をしていた女性一人が呼吸困難などの体調不良を訴えて病院に搬送
不発弾が爆発する。遺族のもとにかえれない遺骨が新たに見つかる。米軍基地も大きくは減らず、さまざまな被害が続く。「まだ戦は終わっていない」という人が少なくない理由はこうしたことにあるのです。
不発弾とはどういうモノ?
不発弾とは、爆撃機や戦闘機から投下された爆弾及び戦艦や戦車から発射された砲弾が、何等かの原因で爆発せずに地中に埋まっているものを指します。また、海中・海底に敷設された機雷が爆発せずに残存しているものも不発弾に含まれます。
近年でも不発弾事故が起きています
工事中の機械による振動が原因とされる不発弾の爆発事故が発生しており、平成21年には沖縄県糸満市で工事中の機械と不発弾の接触から爆発事故が発生しております。これらのことからも不発弾が爆発する危険性は多分にあると言えます。
不発弾調査の流れ
建築主さまは、弊社にお電話一本頂くだけで、あとは設計事務所とのやりとりで完了します。
不発弾調査(磁気探査)のご依頼を受け、建築予定地や着工時期、設計事務所と設計図書の確認を行います。
建築確認申請後(確認済証の前でOK)に不発弾調査(磁気探査)の補助金申請手続きを行う。1週間〜3週間(規模により変動)で補助金申請承認
不発弾調査(磁気探査)現場入り1日〜10日(規模により変動)で調査完了
建築工事着工 報告書提出
沖縄県では、昭和49年那覇市小禄における下水道工事で死傷者38名を出した不発弾爆発事故を契機に、地中に潜む不発弾を事前に探査する取り組みに力を 入れています。 第二次世界大戦から78年が経過した現在でも不発弾が発見され続けており、その件数は年間約600件にのぼります。 県内では今なお危険と隣り合わせの状態にあります。 沖縄県では県民の生命・財産を守るため、不発弾の探査を進めています。
”見つかるはず”の場所に建物が立ってしまうと、 次の建替えまで、発見することはほぼ不可能となってしまいます。 この補助金制度はいつまで続くか分かりません。 今のうちに、不発弾探査を行い、安心して建物を建てることが大切です。
”今”補助金で調査可能な時期に不発弾調査(磁気探査)の是非ご協力ください!
面倒な手続も弊社にお任せください。
不発弾調査(磁気探査)の種類
砲弾等は鉄で作られているため、鉄の特徴である強磁性体の性質を利用し探査することを磁気探査といいます。建設工事や改良工事等に先立ち不発弾調査(磁気探査)を行いますが、工事の目的に応じて探査方法が異なります。それぞれの現場に最適な方法で、正確な不発弾調査(磁気探査)を行います。
水平磁気探査
水平磁気探査とは、比較的浅い場所を探査する方法で、主に不発爆弾や遺棄砲弾を対象とした陸上での調査方法です。
水平探査とは、センサーの両端につけたロープで2名の作業員が水平に吊り下げ、地表面より10cm以内を秒速1mで歩行移動させ探査を行い、磁気異常を測定する探査方法です。
この方法では、地表面下にある磁気異常物を検出することができ、不発弾の種類によって約0.5以内にある不発弾を探すことができます。
経層磁気探査
経層磁気探査とは、地表面だけの測定では、探査する事ができない場合に行う探査方法です。
経層探査とは、地表から0.5m〜2.0mまでの深度を、0.5mずつ掘り下げ、水平探査と同様の探査方法で行います。
掘削作業が入りますが、設計基礎最下部0.5mまでの掘り下げなので、地盤の強度に影響を及ぼすこはありません。
鉛直磁気探査
鉛直磁気探査とは、探査孔(通常はボーリング孔)の中に、磁気センサーを入れて、鉛直方向に磁気探査を行う方法です。
鉛直探査とは、ボーリングマシンなどを使用して筒状のケーシングを地中に埋設し、そのケーシング内に磁気センサーを挿入して探査をおこないます。
なお、掘削中に不発弾に接触しないよう、下方の安全を確認するため、ボーリングマシンによる掘進とケーシング内に挿入する探査を交互に行いながら必要な深度まで磁気探査を行います。
確認磁気探査
確認磁気探査とは、水平磁気探査やその他探査で検出された磁気異常物を、発掘・確認を目的として実施する方法です。
確認探査とは、探査記録をもとに異常点の位置出しを行い探知機を用いておこないます。
機械を用いて作業する場合は、磁気異常付近まで掘り下げ、その後人力により慎重に異常物の埋没深度まで掘削します。不発弾などの危険な異常物が検出された場合は、即座に発注者などに連絡し、適切な処理をおこないます。特に危険でない磁気異常物の場合は、異常物を撤去し探査を継続します。
当社が実施している不発弾調査(磁気探査)は、不発弾等の危険物が鉄類で出来ていることを利用して、
主に不発弾を探査することを目的としていますが、
不発弾調査(磁気探査)では、鉄類すべてを検知することが出来る為、不発弾以外の地下埋設物(水道管・ガス管、PC杭等)の探査も可能です。
工事着工前に撤去しておくことで、工事を円滑に進めることにも繋がります。
業務実績
2023年
-
10月福山氏住宅新築工事民間支援事業
-
10月加納氏共同住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
9月植田様住宅新築工事民間支援事業
-
9月仲宗根様マンション新築工事民間支援事業
-
7月内間様住宅新築工事民間支援事業
-
7月仲村様住宅新築工事民間支援事業
-
7月安里様住宅新築工事民間支援事業
-
6月令和5年度石嶺線(3)磁気探査業務委託那覇市公共事業
-
5月仲栄真様共同住宅新築工事民間支援事業
-
5月山川様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
5月YMビルⅡ新築工事民間支援事業
-
3月臨港道路(港湾2号線)磁気探査業務委託(R4-2)那覇港管理組合管理者公共事業
-
2月上原氏住宅新築工事(磁気探査)民間支援事業
-
2月上原氏共同住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
2月(仮称)首里おき会計ビル新築工事民間支援事業
-
1月南城市つきしろ(注文)城間様邸民間支援事業
-
1月金城様住宅新築工事民間支援事業
2022年
-
12月小禄様住宅新築工事民間支援事業
-
12月西原町字嘉手苅呉屋様邸新築工事民間支援事業
-
11月真地市営住宅第1期建替工事業務委託(造成磁気探査その2)那覇市公共事業
-
11月照屋様砂辺米賃共同住宅新築工事民間支援事業
-
11月糸数氏共同住宅新築工事民間支援事業
-
11月上原・引野様二世帯住宅新築工事(磁気探査)民間支援事業
-
11月トーマ産業株式会社様共同住宅新築工事民間支援事業
-
9月大城氏住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
8月南城市知念(注文)照屋様程(磁気探査業務)民間支援事業
-
8月中山様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
8月宮城様マンション新築工事(磁気探査)民間支援事業
-
7月屋宜様店舗兼住宅共同住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
7月羽地氏住宅事務所新築工事2021(磁気探査)民間支援事業
-
7月糸満市賀数(注文)新垣様(磁気探査)民間支援事業
-
6月喜瀬様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
6月糸満市名城(注文)新垣様邸(磁気探査)民間支援事業
-
6月読谷村字高志保(注文)八木様邸(磁気探査業務民間支援事業
-
5月神里氏住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
2月前山様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
1月国吉様学童クラブ新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
1月大城様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
2021年
-
10月トーマス内間Ⅱ新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
10月大城氏住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
10月令和3年度配水管布設工事に伴う磁気探査業務委託(その3)那覇市公共事業
-
9月池尻様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
9月名嘉様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
8月佐久本様二世帯住宅様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
8月砂辺松田邸プロジェクト民間支援事業
-
7月H氏、O氏共同住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
6月亀濱氏共同住宅兼事務所新築工事2018(磁気探査業務)民間支援事業
-
5月那覇市古波蔵1丁目の家(磁気探査業務)民間支援事業
-
5月徳田氏住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
5月マンションTdash新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
2月令和2年度石嶺線(3)磁気探査業務委託那覇市公共事業
2020年
-
12月田港様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
12月仲村様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
11月古謝様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
11月石川様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
10月吉田様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
10月生熊様新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
9月西野様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
-
8月平敷様住宅新築工事(磁気探査業務)民間支援事業
2019年
-
11月報得川河川整備工事(R1-2)に伴う磁気探査業務委託沖縄県南部土木事務所公共事業
2018年
-
10月H30南部東道路磁気探査業務委託(その4)沖縄県南部土木事務所公共事業
-
9月広域探査発掘加速化事業(本島地区H30-24)沖縄県公共事業
-
8月石川〜上間送水管磁気探査業務委託(江州工区)その2沖縄県公営企業管理者公共事業
-
3月市道石嶺線磁気探査業務委託(H29)沖縄見都市モノレール建設事務所公共事業
-
2月平成29年度石嶺線(2)磁気探査業務委託那覇市公共事業
2017年
-
6月兼久第1処理分区磁気探査業務委託(H29-1)西原町公共事業
-
5月広域探査発掘加速化事業沖縄県公共事業
採用情報
未経験の方も大歓迎です!
先輩技術者が親切・丁寧に全てイチからバックアップしますので、ご自身のペースで、ひとつひとつ確実に技術を身に付けて下さい。経験者の方はさらにステップアップを目指して頂き、サポート、バックアップを致します。
古い業界ですが、当社は平均年齢が30代と、他社に比べると比較的若い世代が活躍しています。
安定した業界なので、今後会社を大きくしていきたいと考えてます。
スタートアップのような感覚で、一緒に会社を大きくしていけるパートナーを探しております。売上目標を掲げたり、切磋琢磨しながら会社と一緒に成長していきましょう!!!興味のある方は是非一度、弊社へお問い合わせください!
会社情報
会社名 | 有限会社セーフティ探査 |
---|---|
本社事業部 | 沖縄県那覇市泊2-9-2 |
事業本部 | 那覇市古島507 パークサイドイサム1F |
TEL / FAX | TEL: 098-862-5282 / FAX: 098-867-9778 |
u-safety-@ryucom.ne.jp | |
資本金 | 300万円 |
営業種目 | 磁気探査 / 測量 / 土木設計 他 |
登録業種 | 測量業者登録(3)-33963号 |
社員数 | 7名(正・契約社員含む) |
代表取締役 | 翁長隆 |
有資格者など
技術認定技士 3名 |
測量士 1名 |
測量士補 1名 |
乙種火薬類取扱保安責任者 1名 |
宅地建物取引士 1名 |
2級土木施工管理技師 2名 |
主な取引先
沖縄県 |
沖縄県各市町村 |
建設会社 |
設計会社 |